「英語教育の危機」(鳥飼玖美子著)について大いにネタバレしながら感想を述べてみます。*今回は当ブログ誕生以来初の日本語本です。
まずすごくざっくり言ってしまえば本書は
「ガチの英語教育・異文化コミュニケーションの学者さんが英語教育政策のイケてなさに焦点を絞って文科省の無茶ぶりにツッコミ入れまくる本」
です。
↓英語教育の危機を読みたい方はこちら
英語教育の危機 読んだ理由
鳥飼玖美子先生はガチの研究者で同時通訳者としても有名な先生ですし僕ですらご著書を読んだことがあるくらいなので、著者名を見て本書を手に取ったのはもちろんそうなんです。
…とはいえ、この題名ですよね。
それとパラっとめくると目に入るまえがきの冒頭が、
「英語教育改悪がここまで来てしまったら、どうしようもない。」
の一文で始まるんですよ。これはもう読まざるをえない。
あと正直この先の人生で「今後自分が日本で子を持ち文科省が支配する英語教育にわが子がさらされる可能性」が全くのゼロではない以上本書を読まない理由はないとも思いました。
英語教育の危機: 著者は?
著者の鳥飼玖美子さんは日本の同時通訳者にして英語教育学と通訳学の研究者。立教大学名誉教授。大学在学中に同時通訳者として活躍。20代半ばでアポロ11号の月面着陸の生中継や大阪万博期間中の特別番組を担当。NHK「ニュースで英会話」監修と講師。
上智大学外国語学部卒業・コロンビア大学大学院修士課程卒業・サウサンプトン大学大学院博士課程修了でphD取得。
じつは鳥飼先生の別な書籍が当ブログに以前も登場していたんです。↓の記事とかにも登場してる。
ではここから先はいよいよ大いにネタバレしつつ、とくに興味深かった・印象的だった点を見ていきましょう。
注意: これ以降は壮大なネタバレが登場します。ネタバレ読みたくない方はブラウザで戻るか当ブログの別な記事を読んでね
英語教育の危機 感想・解説 文部科学省の無茶ぶり
ではいよいよ大いにネタバレしつつ、とくに興味深かった・印象的だった点を見ていきます。
小学校英語教育の弊害 中学英語が急に難化
本書は日本の英語教育政策に限定して文科省の無茶ぶりをディスってる本なので、文科省の策定した学習指導要領(の英語の部分)に照準を合わせてツッコミを入れてます。
さて、学習指導要領とはざっくり言うと日本の小中高校用にかなり具体的な教育方針を書いた指示書みたいなもので文科省大臣の名で発表されます。
まず文科省の英語教育方針は本書によると、
1989年告示の「学習指導要領」以来、「慢性改革病」とでも呼びたいくらい、改革に次ぐ改革を重ねてきている。
- 鳥飼玖美子 英語教育の危機 第一章P26
その改革に次ぐ改革で「読解と文法ばかりやるから英語が話せない」という世間一般からの声をきちんと受け止めて文科省はこの30年間ほどは「コミュニケーション重視」を掲げ読解・文法軽視の教育方針を打ち出し続けました。
で、結果はどうなったか。
うわべだけのコミュニケーション重視・読解と文法を軽視した授業の弊害で今は大学一年生が基礎的な英語を読めない・書けない・聞けない・話せないの4重苦となってるのが現状です。
現在の英語教育スタイルに日本全国の学校という学校(と文科省)がたどり着くまでの流れは図で眺めた方が分かりやすいので主要イベントを整理した上で年表にしてみました↓↓
引用元: 鳥飼玖美子 英語教育の危機 第一章P36~P42 *上図は引用元の情報を当ブログ管理人が年表化したもの
1989年の部分になにやらへんな事が書いてありますが…まあ「会話重視」な姿勢は当時すでにあった、と。そして、それが現在の「英語の授業は英語でやれ」とか小学校の英語教諭に「地域の英語ができそうな日本人」を採用するとかの無理ゲーな状況につながっていく流れです。
本書では小学校英語を導入した当時についてこう書かれているんです。
…英語ができると思われる人たちに特別に免状を出す、小学校の免許は取得しているものの英語の免許がない小学校教員が大学の教職課程で短期の研修を受ければ英語免許を取得したとみなす、などの措置で見切り発車することになる。
- 鳥飼玖美子 英語教育の危機 第一章P20
めっちゃみなぎる急ごしらえ感
英語堪能で日本の英語教諭免許は持たない方々の雇用創出という意味で良い面もあるとは思いますが、ものすごいやっつけ仕事感。まさしく文科省の無茶ぶりが現場を混乱させている例。
ところで2021年4月からの中学校の新学習指導要領での授業が始まったせいで中学英語が急激に難化しているのは有名な話で、昨今はTwitter英語アカ界ですら見かけるレベルです。
しかしこれ、小学校英語を2020年から本格開始したあおりを中学が食ってるんだと思うんですよ。しかも本書によるとそもそも「小学校」の新学習指導要領にある目標が高すぎるからそうなってしまってるようなんです。
まず新学習指導要領に載っている小学校英語の目標というのが鳥飼先生も驚愕するほど高度な英語を目指してるんです。本書によると「中学英語の新学習指導要領と比べてまるで見分けがつかないくらい高度」とのこと。
しかもそれを週1コマだけの授業で、他にも教科をやりながら達成せよと文科省は言うんですが…実現可能だとはにわかには信じられないです。
ちなみに鳥飼先生は小学校での英語教育には何年も前からずっと一貫して反対してますね…
「英語の授業は英語で」の害悪とは
さて僕がここ数年ずっと胸中モニョってる事象が高校の英語の授業なんです。本書によると公表当時大いに物議を醸した「英語の授業は英語で」が一斉に取り入れられたのは2013年4月入学の高校一年生からです。
でも政府目標の「高校3年時に全員が英検準2級合格」は高校3年生のうちたったの36%しか達成していないんです。
これ授業効率ダウンした証じゃねーの…(´-ω-`)
とくに子供の場合、英語の授業は何もかも英語でやれ!無理に英語で考えなくては!と焦ることで被る害悪のほうが大きいのでは?と僕は危惧してるんですが、それについてじつは鳥飼先生も本書の中で同じような事をおっしゃってるんです。
英語で瞬時に考えながら英語の文法でぐんぐん英文を読むなどのスキルは総合的な運用力が養われればのちのちマスターできます。
そんなくだらん事で子供たちの注意力を削ぐのではなく、まずは集中すべきポイントにきちんと集中して学習するとかたくさん良質の読み物を読むとか、もっと他に力を入れるべき要点は沢山あると僕は思うのです。
英語の授業は英語で、は世界基準では時代遅れ?!
上で述べた通り本書の著者鳥飼先生は「英語の授業は英語で」の文科省方針に反対しています。理由として
- 近年では世界中でコミュニカティブ・アプローチCommunicative Approach(母語の使用を禁止しないコミュニケーション能力を培う指導)が広がっており、
- しかも日本国外では母語の使用どころか翻訳の効用をも積極的に認める流れも英語教育研究界で広まりつつある
- そもそもCEFRでは「訳すこと」も重要な能力として扱ってる
と本書で述べそのうえで、
…その中ですでに過去のものとされている指導方法を、学習指導要領という10年間も全国の学校教育を拘束する文書に入れ英語教育を硬直したものにすることが妥当かどうか、再検討するべきであろう。
- 鳥飼玖美子 英語教育の危機 2章 P100 *太字は当ブログ管理人による
…と、指摘していらっしゃるわけです。
もはや ( ゚д゚)ポカーン・・・もんかしっかりしろ・・・
マジ誰なんでしょうその文科省の方は…
あ、こういうときのためのTwitterですね
英語教育の危機 感想・解説 理念ガン無視でCEFRを恣意的・かつ部分的に導入した罪
ところでCEFR (欧州言語共通参照枠、Common European Framework of Reference for Languages)を文科省は英語教育政策に取り入れているのですが、このCEFRを「TOEFLやIELTS」と同じ英語力試験と思っている人が多いのではないでしょうか?
じつはCEFRは試験ではないです。正確には、
- CEFR: 能力評価の『尺度』であり、能力記述『文』で表され、数値で測るものではない
- TOEFLやIELTSなどの語学力試験: 言語運用能力を測定する『試験』であり、結果は数値で表される
であって、CEFRと英語力試験とはお互いに根本的に異なるものなのです。共通する部分はあるにせよ同じものとして扱ってはダメです。
ダメなのに…
ダメなのに文科省はCEFRを「達成目標」としてしまっている。
まさに本末転倒ですよ。つまり文科省の英語教育のCEFRを本来の意義とはまるで違う用途で用いてしまっている。
ついでに本書のP111にあるように欧州の複合言語主義(母語以外の言語を2つ以上学んでコミュニケーション能力を生涯かけて培ってゆくことを目指す)の理念をガン無視しちゃってCEFRの一部だけを恣意的に取り出して文科省は英語の指導要領に取り入れちゃったんです。
ほんまそれですよ。もうなんというか…
もんか恣意的すぎておなかいっぱい(´-ω-`)フウ…
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英語教育の危機 感想・解説 スーパーグローバル大学創成支援とは
グローバル人材育成戦略の落とし穴とは
2012年6月4日に公表された「グローバル人材育成戦略」という日本の国家政策の一部として英語教育改革もずっと続いてる、というわけなのですが本書によるとこのグローバル人材育成戦略がこれまたいろいろと問題をはらんだ政策なのです。ざっくりと僕なりにメジャーな問題点だけ整理してみました↓↓
大学は「企業戦士を生産する工場みたいなもの」としか経済界は見ませんからね。グローバル人材育成戦略とかいう国策に程度の差はあれ当然どの大学も影響されてしまいます。
そういえば僕が留学の終わり近くに日本と米国で就活してた頃「留学経験者だからグローバル人材」とか「貴方のようなグローバル人材が不足しており」とかやたらめったらJTCリクルーターの人達言ってましたね…外資系企業はぜんぜんそんなこと言わなかったけど。
スーパーグローバル大学創成支援はなぜダメなのか
上の方で出てきたとおり「グローバル人材育成戦略」は大学教育にも大いに影響しており、それが日本中あちこちの大学で「スーパーグローバル大学創成支援事業」という名前の大学改革・国際化事業となって現在も進行中なわけです。もちろん文科省が音頭をとって始めた大掛かりな事業です。
…が、文科省ですからね。
いろいろとツッコミどころ多し。
まずこのスーパーグローバル大学創成事業とは、文科省が2013年12月に発表した「グローバル化に対応した英語教育改革実施計画」に含まれてた目玉事業だったんです。で2014年度に採択(10年後の2024年度で事業は終了)されたんですが、
なぜそのタイミングで?と言いたくなります(⇦遅すぎるだろって意味で
このスーパーグローバル大学創成事業がはらむ問題点も当ブログ管理人がまとめたので図解でご一読下さい↓↓
引用元: 鳥飼玖美子 英語教育の危機 第一章P42~P59 *上図は引用元の情報を当ブログ管理人が図解化したもの
ところでさっき文科省の公式サイトでスーパーグローバル大学創成支援事業のページを見てたんです。そしたらですね…
…お…なんかみえた…
え…あ…ふーん。
総計300億円。これを失敗から学ぶために払う授業料としてはあまりにも高いと見るか国家規模での教育投資額として少なすぎると見るかは、これを読んでいるあなた次第。
英語教育の危機 感想・解説 大学入試英語民間試験はダメ?
日本では近年「英語は話せる・書けるのが最優先」でそのためには民間試験が必須みたいな風潮になってるようですが、それについて怖いことが本書に書いてあります。
最近の大学生は、読み書きが苦手で、4技能の土台となる「読解力」が著しく低下している。
- 鳥飼玖美子 英語教育の危機 3章 P144
ただ低下している、じゃないですよ。「著しく」低下してるんです。
およそ30年近くにわたり英文読解と文法の軽視+会話重視の教育にはげんだ結果現在の若者は以前よりもっと読めなくなり、したがって書けないし話せない。
しかもそのような実態は英語教育業界では知られているもののそれ以外の一般社会にはまったく認識されず、「日本人は読み書きはできるけど話せない」という誤った言説をまるで情報操作のようにメディアが流し続けている。
そのようなおかしな言説に乗せられた一般世論に押され文科省でもろくに議論せずに話せるようにするなら民間英語力試験を導入すれば良い!とサクッと決まってしまった…そんなちょっと信じがたいことが起きていたわけですが、振り返れば僕も「日本人は読み書きはできるけど話せない」を信じていたふしがあるのでメディアにうまく流されていたのでしょうね。
まあなぜ民間試験を受ければ英語が話せるようになるのか、そのロジックには僕は全く納得していませんが。
英語民間試験は目的が違う
では英語民間試験を大学入試に導入することの何がまずいのかですが、民間の英語力検定試験はそもそもの目的が高3時点の英語習熟度を測ることじゃないですよね。
本書を引用すると民間英語力試験とは、
日本の英語教育を念頭に置かず、学習指導要領に依拠していない
- 鳥飼玖美子 英語教育の危機 3章 P146
つまり目的がそもそもぜんぜん違うのです。
たとえばTOEICや英検って高校3年生の教育背景など関係なく作成されるものですし。TOEFLとIELTSだってそうです。日本の学習指導要領に沿った内容の習熟度を評価するためのものではない。
そういう試験を大学入試のとても重要な部分を占める大学入試共通テストで使ってよいのですか?って話です。
英語民間試験 検定料の負担がかかる
文科省が主張している英語民間試験を大学入試に導入して複数回受験できる点がすぐれているとか一般社会では思われているらしいのですが、民間試験ってまず検定料がけっこうかかるんですよ。
例えば一番高額なTOEFLiBT。これは米国の大学へ進学するための英語力を測る試験だけどUSD245 (この記事書いてる時点での為替レートで¥34,352)です。
しかも文科省は民間試験を年2回受けてよろしいとか言ってるけど、これ家庭の経済状態によってはけっこうな負担となりかねない(もしくはすでになっている)
では大学入試の一部として英語の民間試験導入を契機に各民間試験の間で値引き合戦が始まっているか?と見回せば…
もう本書を読んでいても、民間の英語試験を大学入試に導入したところで保護者と学生の両方にとって恩恵よりも不利益となる要素ばかり目につくのでイヤになってきました。
…と思ってたのですが、やはり昨年2021年7月に「2025年以降の大学入学共通テスト(以下、共通テスト)への記述式問題と英語の民間試験の導入を断念する」と文科省は正式に発表したんですね。
鳥飼先生のような英語教育研究者の方々や日本学術会議の学者さん方が危機感をあらわにして危うさを訴えたのが何年もかかってようやく霞のむこうの方々にも届き始めたのかもしれません。
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英語教育の危機 感想・解説 完読した後で分かった事
もう読んでいて驚愕する・呆然となるの連続でした。完読したあとでまっさきに頭に浮かんだのが
これで日本人が英語が手足のように自由自在に使いこなせるようになるわけがないだろ…
で、次に感じたのが
文科省の英語教育戦略ってなぜいつもこうやっつけ仕事感満載なんだろ…
ですね。まあこのやっつけ仕事感については鳥飼先生も言及している
- 次々と政策出しまくることを日本社会が文科省に望んでいるから
- 文科省が「コミュニケーション能力」という言葉の定義を明確にせずフワフワした曖昧なもののまま教育政策の現場で使ってしまっているから
- 良さげな提言が出てそれに基づいた政策を施行しても霞が関の人事異動でプロジェクトの継続がぶった斬られて長期的視野に立ったPDCAがうまくいかない
でほぼほぼ説明できる気がします。
日本人が英語ができないのはなぜか? 日本という国家がグローバル化しないのはなぜか?
アイビーリーグMBA留学にぶちこめば良いとかスーパーグローバル大学創成事業で300億円使って海外大学で学位をとってもいない日本人教師に英語で講義させれば良いとかじゃないことは周囲を見れば明白です。
英語教育の危機 感想・解説 まとめ
では今回の感想まとめです。
- 「コミュニケーション重視」のせいで現在の日本人は30年前より英語力が低下している
- 小学校での英語教育は悪手
- スーパーグローバル大学創成事業は大学の「和製グローバル化」なので抜本的な大学改革も無理ゲー
- 「英語の授業は英語で」は時代遅れ
- 新学習指導要領はCEFRの一部だけ恣意的に取り入れてしまっているうえに理念をガン無視
- 英語民間試験は目的が違うので大学入試に導入するのは悪手
じつは記事の冒頭で紹介した鳥飼先生の「英語教育改悪がここまで来てしまったら、どうしようもない」の言葉にはまだ続きがあってそれは
「もう英語教育について書くのはやめよう、と本気で思った。それなのに書いたのが本書である。」
という文なのです。そこまで鳥飼先生に言わしめるレベルまで改悪された日本の英語教育。Twitterにも小中学英語教諭の方々の悲痛な叫びがあがっており教育現場の混乱ぶりは僕みたいな人間でも垣間見ることはあったのですが、本書を読んでようやくあの苦痛のツイートの理由が「新学習指導要領に代表される文科省の無茶ぶりによる苦痛の声」であったのだと理解しました。
ともあれ一番大事なのは、
「どの子供にとってもその子が学校で英語教育を受けるのはたった一度きり」
それだけは頭の中にしっかり留めておきたいと思います。
今回は以上です。
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