*この記事はいつもの英語ネタ系雑記ブログとはかなーーり異なる内容の記事です (英語はほぼ出てきません)
【要注意】以下にはちょっと怖い描写・大型のクモが嫌いな人には無理とおぼしき内容の記述がふんだんに出てきます。
またたくさん人が亡くなるような悲しいお話も出てきますので気持ちが落ち込んでいる方・心理状態があまり良好でない方はここでいったん退出して後日、調子が宜しい日に読むことをおすすめします。
血のにおいがするお話
この記事はいつもの英語ネタ系雑記ブログとはかなーーり異なる内容の記事です (英語はほとんど出てきません)。
ここから以下を読み進める皆さんはまず下に貼ってあるリンクから滝本弁護士ブログ記事をご一読のうえ、読み進めてください↓↓↓
*この滝本太郎弁護士のブログ記事とは、あの「やまゆり苑大量殺人事件」の植松被告の裁判が2020年1月8日に始まった時期に書かれたもの。
滝本弁護士ブログ記事へはここからも飛べます↓↓
https://sky.ap.teacup.com/takitaro/2668.html
上の滝本弁護士のブログ記事を読んだ方はどうぞ下へ読み進めて下さい。
まずこの滝本弁護士ブログ記事では「1、2週間後くらいかなあ」と書いてあるのですが、血が腐ってくさーいにおいになった時のにおいはそんなに長く待たなくても暖かい季節であれば24時間近く待てば十分くさくなるもんです。
ビーフステーキ用の肉がくさったにおいにも近い。
しかし自分の場合、この滝本弁護士ブログ記事を読んで最初に頭にパッと惹起された「血のにおい」はビーフステーキ用の肉が腐敗しつつあるにおいではなく、
「カンボジアのキリング・フィールドおよびS21で自分が立っているその周り一帯から立ち昇りただよう大量の人間の血のにおい (死臭)」
でした。
トウールスレン虐殺博物館とは? Killing Fieldとは?
さて
「カンボジアのキリング・フィールド?」「クメールルージュ時代って何?」
と思う方も多いかと思います。
ここでざっくり乱暴にまとめてしまいますが、カンボジアでは1975年から1979年にかけてクメール・ルージュという名の共産主義政党が恐怖政治体制を敷き、党の名の下に知識階層などを大量殺害し文化施設その他の破壊の限りを尽くした、という時期がありました。
(つまり体制に歯向かいそうな知恵と能力のある人達を日本のすぐそばの大きな国で毛★東が昔やったみたいに殺しまくったわけです。2020年現在でもあの国は似たようなことをやってる様子だが、まあそれはそれ)
で、そうやって逮捕された人たちを拘留していた監獄が通称「S21」と言われる施設 (現在のトウールスレン虐殺博物館)。
このS21に入れられた人たちはやがて「キリング・フィールド」と呼ばれる国内各地に点在する拷問+処刑場に連行されて処刑 (ごく少数の生存者を除いて全員処刑)。
その虐殺された人数たるや全国で100万人は下らないと「言われている」。
(なんとこの時代の破壊ダメージが大き過ぎたせいでカンボジアではその後も人口統計調査がまともにできていない。よってせいぜい【言われている】どまりなのです)
上に管理人が書いた以上にさらに詳しい情報は日本語でも英語でもいろいろネット上にあがっているので各自ググってください。
英語の情報も読みたい!という奇特な方は↓のリンクのサイトがなかなか良さげだったのでご参考。
https://www.thecommonwanderer.com/blog/tuol-sleng-s21-guide-phnom-penh
OUR GUIDE TO CAMBODIA’S KILLING FIELDS AND S21 MUSEUM
By THE COMMON WANDERER
*上のリンクは英語のウェブサイトだが、ちゃんとまとまった良い記事。管理人もざっと見てみたけどとくに変なことは書いてない。
管理人がそれらの現場で見たものとは?
カンボジアでは写真や動画もかなり撮ったはずなのですがそれらのデータを探し出すのに時間がかかるので、まず管理人の「大虐殺に関連する感想だけ」投稿しておきます。
S21 (トウールスレン虐殺博物館):
この記事の上の方でもすでに出てきましたが、入館して見学を始めしばらくして気づいた「自分が立っているその周り一帯から立ち昇り今なおただよう大量の人間の血のにおい (死臭)」は今もよく覚えています。
現在はネット上でも日本語でS21館内にある「居住エリア」 (とは名ばかりで、実際は逮捕された人たちを虐殺用の施設へ運搬するまで拘束するためだけのエリア)の情報がたくさん見つかりますが、このエリアは日本人観光客のあいだで近年では「心霊写真が写った!!」とけっこう話題になったりしてるようですね。
今思えば死臭がいちばん強く感じたのもこの「居住エリア」でした。亜熱帯のプノンペン市内でここだけなんだかひんやりしており、ここ一帯だけが妙に薄暗かったのも強烈でした。
管理人はここを見学した時も真新しい一眼レフカメラを持参していたはずですが、あまりに異様な感じだったため私はこのS21館内ではいっさい写真を撮らなかったと思います。
あとこの薄暗い「居住エリア」内のそこらじゅうに真っ暗な黒い影になっている所がたーーくさんあったのですが、はたしてあれらはただの物陰だったのでしょうかね…
CHOEUNG EK GENOCIDAL CENTRE (チュンエク キリング フィールド):
上の方ですでにざっくり説明したとおり、S21で監禁された人たちは次はここへ運搬されてきました。
そののちクメールルージュはその人たちを幼児・赤子にいたるまで無差別に言語に尽くせぬほどの非道な方法で殺しまくったわけですが、ここCHOEUNG EK GENOCIDAL CENTRE (チュンエク キリング フィールド)はその当時の遺品やどのような行為がなされたのかの生々しい痕跡が屋外に点在する史跡です。
で、なんとこの場所は、雨が降るごとに地中に埋もれている人間の骨や歯が地表に現れるのです…
私が足を踏み入れた時に
「あ、地面に当時の茶碗の割れたかけらが顔を出してる…」
と一瞬思ったがすぐさま、
「げっ人の頭蓋骨の破片じゃん!!」
と気づいて首の後ろのあたりがぞわっと冷たくなったのも、ここ。おそらくあれは粉砕された小さな子供の頭蓋骨のはず。
その後付近にポツポツと散らばっているパッと見、「トウモロコシのつぶつぶ」のような小さな物体が、じつはぜーーんぶ小さな人間の歯であることに気づいたのも、ここ。
ここを訪問して以来、もうホラー映画も幽霊も宇宙人もぜーんぜん、これっぽっちも恐いと思わなくなりました。
S21にもキリングフィールドにも行った。しかし…日本人ゼロ…だと?!
これらの場所で大量虐殺が行われたのは1976から1979年だから、今からすでに40年前。
それなのに21世紀の今現在も、そのあたり一帯には殺された人たちの流した血がしっかりがっちりと浸み込んでおり、いまだに死臭・血の腐ったにおいが漂っている。
(「これは血液の匂いだ! 死臭だ!」と気づいた時には、一瞬で背筋が冷たくなりました)
人間による人間に対して行われた大量虐殺について勉強したい人は、わざわざ欧州のアウシュヴィッツまで行かなくとも、アジアのわりと近場にこのようなすごい博物館があるということをぜひ知っておいてほしい。
しかしあんなにすごい展示なのに私達が虐殺博物館を訪問した当時(6-7年くらい前)、周りには日本人の見学者はぜんぜん見当たりませんでした。
シアムリップのアンコールワットやベンミリアなど、美しい遺跡にはまさに黒山の人だかりなほどわんさか日本人がいるんですよ。それこそ目隠しして石を投げれば日本人団体ツアー軍団に当たるくらいにいる。
なのに、虐殺博物館には管理人のほか日本人ゼロだったんですよ… (驚
沈痛な面持ちで粛々とヘッドセットの音声ガイドに耳を傾けながら見学しているのは、ほぼほぼ全員が白人の皆さん。
たまーにおっ東洋人!と思い確認のために聞き耳を立てると、それは英語話者のシンガポール人とおぼしき若者たち。
たったひとりとして日本人はいませんでした。自分以外は。
なんで日本人はひとりも来ないんだろう。
「お金払ってわざわざ悲しい思いしたり憂鬱な気分になりに行くんじゃない。俺の金は楽しい思いをするためだけに使うのが正義だ!! (キリッ」
って言うのが日本では普通なのでしょうか。
でもわざわざ飛行機に乗って7時間もかけて外国まで行く機会があって、その国のことについて理解を深めたいんだったら、キレイなもの、楽しいもの、美味しい食べ物ばっかりじゃなく「暗くて醜いが歴史的に非常に重要な意味をもつ部分」もちょっとくらいは見てみないと、
「おいしー (はぁと)」「かわいー(はぁと)」
というレベルの浅―い感想しか持てないしその国について理解なんてできないよ。せっかくの人生を豊かにする絶好の機会なのに、なんともったいない。
まあ
「るせーぞそもそも俺たち、理解したいなんてちっとも思ってねーしw」
とおっしゃるのなら、あそうですかー(ご愁傷様ですうー)でおしまいですが。
*ちなみに2020年現在ではカンボジア虐殺博物館を見学した日本人による旅行ブログは星の数ほどありますが、私が虐殺博物館やキリングフィールドに行った直後 (今から6年ほど前) にネット上を探し回った当時は、虐殺博物館を見学した日本人が日本語で投稿したブログ記事はたったひとつしか見つかりませんでした (当時の私の探し方が悪かったのかもしれませんが)。
そしてそのたったひとつだけ見つかったブログ記事を書いた方は、博物館の展示記録・遺留品・保存された実際の建物などとてもよく観察しており、読みごたえのある記事を細かく詳しく書いていらっしゃったのですが、
「展示内容はすばらしく良かった。しかしあまりにも残虐非道な行為が行われていたという事実に非常なショックを受け、その晩は血尿が出た」
とも書いていらっしゃいました。
(ちなみに上の文を書いていた方は普段は弁護士としてバリバリ活躍している中年男性の方)
管理人個人としてはこの方の「血尿が出た」の記述を見て、
「うんうん、無理もないわー 分からんでもないわー」
と思います。人によっては博物館の展示記録内容のそのあまりのむごさに耐えられず、その場で泣き出す方もいらっしゃるでしょう。実際私の連れの数名は現場でわんわん号泣していました。
(*現場であまりのショックで泣いた、という人は管理人の周囲だけでもマジでひとりやふたりどころの次元じゃないです…それも老若男女問わずです)
ですのでもし興味をお持ちで
「渡航制限が解除されたあかつきにはぜひこれらの場所へ行って社会勉強してみたい!」
とお思いのかたは充分に下調べをしたうえで、充分にも充分すぎるくらいにがっちり覚悟を決めてから行ってください。
(本当にそれくらいむごく、ひどいです)
カンボジア大虐殺関連の感想とは別に管理人の心に強い印象を残したもの
管理人が一番気になったのは、地元の若者たちがカンボジアの王家や現王子のことを話すときにまるで畏敬の念がこれっぽっちも感じられなかったこと。
ホントにぜーんぜん、感じられなかった。
(むしろバカにして嘲笑ってました。とくに現王子のこと)
クメールルージュのやらかした国家転覆と破壊、それに続くベトナムによる軍事・経済侵攻、などによってこの国の国家元首・王家もとんでもない目に遭い辛酸をなめたわけであるが…
それにしてもこの若者たちの態度や口ぶりが、近隣国のタイで見られる国民の国王に対する強い敬愛の態度とはまったく違うものだったことにちょっと驚いた。
(もちろん私は現地語が分からないので現地ガイドさんを通しているのだが、面と向かって彼らを観察してると、こういうオーラはけっこうありありと観察できるもんです)
それから教育軽視の姿勢がクメールルージュの恐怖圧政時代以降続いていることも気になるところ。
ここで「はぁ? なぜカンボジアでは教育軽視なの?」と思う人もいるかもしれない。
なぜ教育軽視なのか? すごく簡単に言うと、
「大虐殺時代の間に国中の知識階層にある人達をクメールルージュが4年間ほど総力をあげてひたすら殺してしまった結果、教育が国家・人民にとってどんなに有益なものかその価値が分からない人がわんさかいる国となってしまった」
というわけ。
もうなんか開いた口が塞がらない…のだが、やらかしてしまった以上はしかたない。
こういった社会のそこここにあまりよろしくない影響を及ぼしている教育軽視の風潮。
それもクメールルージュの恐怖圧政時代が残した負の遺産・悪の深い爪痕のひとつ。だが現状がこうなってしまっているからには、ここからどうするか?に注力していくほか道は無いのである。
それがたとえどんなに長く困難な道のりであったとしても。
おまけ: タランチュラと管理人とのせつない思い出
現在では旅行ブログやらなんかではちゃんとしたフレンチレストランでカンボジア名物のタランチュラの炒めを食べました、とかの記事は普通にみつかる。
しかし今から6年前、現地でガラス越しでなく至近距離で生タランチュラとお目見えした当時どこに管理人がいたかというと、こじゃれたフレンチレストランなどではなくどっかの超ローカルな市場。
ちゃんと認可されているのかそれすらも分からない、もしかしたらヤバイかもしれない屋台の前で、お姉ちゃん2人がそのへんに座っており
「ねえねえ、タランチュラ食べない~?おいしいよ~(´艸`*)」
と自分の手に複数のタランチュラを乗せて呼びこみをやっていた。
しかもそのタランチュラ達は彼女らの手のひらや腕の表面を、元気にのそりのそり歩いている。
ここで断っておくが、管理人はこれまでけっこういろんな国に行っていろんな生き物を食べている。
アフリカ大陸に渡って毛虫も食べた。アフリカのダチョウも、その卵も食べた。中国で熊も食べたし、ワニも食べたし、オーストラリアではカンガルーも食べた。欧州ではカエルもカタツムリも食べたし、
最後に世界で最凶と評判のげにおそろしき英国料理も食べたw
しかし、のそりのそり歩く元気なタランチュラを前にして、管理人は初めてひるんだ。
だってそいつら全員、体長7,8cmくらいはあるんだよ…
しかも全身黒い毛むくじゃらでなんか強そう。
すごくのそのそ丁寧に、でもなんか楽しげに歩いてるし (キラキラ輝く8つの瞳も忘れない)。
結局、管理人はそのまま今日までタランチュラを食べることなく生きてきてしまっている。
その後(コロナ禍による渡航制限が始まる前に)タランチュラを現地のこじゃれたフレンチレストランで食べた人が、
「タランチュラはエビやカニみたいな味でした。お腹はカニ味噌が入っててとーっても美味しかった! 何度行っても絶対食べたくなるんです (キラキラァ✨」
と言っていた。
管理人はこの次会ったら絶対に食べてやるのだと、コロナ禍でいまだに渡航制限も解かれていない今からすでに決意を固めている。
まとめ
これはコロナ禍がおとずれる6年前カンボジアに行った当時からずーっとどこかに発信しておこうと考えていたものの機会がなかったのでそのままになっていた備忘録と、今年2020年の年初に滝本太郎弁護士の日本における死刑の考え方についてのブログ記事を読んでいろいろ思うところを書いた文を、一緒にしてどこかに投稿しておこうと思ったものでした。
奇しくも戦後史上最悪の日本で起きた大量殺人事件と同事件犯人植松被告の死刑判決、そして45年前にカンボジアで起きた大量虐殺の嵐とが「人間の血が腐っていくにおい」という要素で引き合わされ私の頭の中でぶつかり合うことになった中で書いた雑文なわけです。
上記の滝本太郎弁護士の日本における死刑制度についての記事を読んだその数か月後、たまたまブログを始めやっと発信する場ができたのでここに投稿しておきます。
(本当は日本の死刑制度の是非とか選民思想の【植松理論】その他について書いた部分が多々あるのですが、当記事ではカンボジアに絞りたかったのでその部分はほぼほぼ全部省きました。その点についてはまた別な機会に記事にします)